聖武天皇が神亀二年(七二五年)に創建された。全国4万の八幡宮の総本社で、奈良時代から朝廷の崇敬厚く、往時、国東半島の六郷満山を形成、統括し、12世紀頃には九州一円の荘園領主であった。社殿は古い神社本殿の一形式を伝え、「八幡造」と呼ばれ国宝に指定されている。
現存する九州最古の木造建築である大堂は国宝。仁聞の開基といわれる。現在の建物は平安時代後期のもので一本の榧の木で建立したと伝えられ、建築、壁画、彫刻の三者を備え、境内には国東塔、笠塔婆等の貴重な石造美術品が多い。
六郷満山65ヶ寺の中、本山本寺として最大の寺院であった馬城山伝乗寺のことである。現存する九体の仏像は何れも国指定重要文化財で全霊をつくして作者の魂がこもっている。仏像の作風からみて平安時代の作である。
胎蔵寺から250m登った所にある巨大な不動明王(8m)と、大日如来(6.8m)の磨崖仏で、豊後磨崖仏の代表的な物である。藤原末期の作と云われ、両像とも厚肉彫りで国指定重要文化財及び史跡である。
墓地一帯に100余りもの国東塔群が散在しており、中には財前美濃守の墓と伝えられる宝塔もあります。
国東半島の最高峰両子山(標高721m)の中腹に在り、仁聞開基の寺伝をもつ六郷満山中山寺の古刹である。国東半島最大の優れた仁王像をはじめ、綜合門、本堂、護摩堂、奥の院等往時の寺院形態を良く伝えるたたずまいである。
民主主義の先覚者、福沢諭吉が3歳から21歳までの青年時代を過ごした家、国指定史跡。隣接の記念館には「学問のススメ」の原本や遺墨等貴重な資料が陳列されている。
耶馬溪風景の代表といわれる秀峰の裾にくりぬかれた洞門、その経緯は菊池寛の「恩讐の彼方に」で小説化され余りにも有名である。
険しい岩山の中腹に位置し大化元年(六四五年)印度僧により建立。五百羅漢、多数のしゃもじで有名。家内安全、学業成就の御利益を求め参拝者が多い。
昭和58年に建設された多目的ダムで堤高62m、堤頂長313m。ダムスポーツ公園をはじめ、もみじの丘、海洋センター、渓石園などの施設があり、ダムの上流部には山瀬の景があり、湖面に岩峰を倒映する新しい耶馬溪の名所である。
侵食によるU時方の両岸垂直の絶壁、渓谷、大蛇行する河川、石柱の林立が見られ、一目八景、麗谷がそれを代表する眺めである。
大分県の歴史と文化を「神と仏といのり」というテーマで7つのコーナーで紹介している。展示室中央には創建当時の壁画を再現した富貴寺大堂を原寸大模型で復元。他に大分県の歴史や観光スポットを案内する情報コーナーがある。
運行日
国東コース 土日祝運行
※台風10号の影響により、財前墓地(車窓見学)へは立ち寄らない可能性がございます。
あらかじめご了承ください。
耶馬渓コース 運休